社長のはなし

社長のはなし─ ̄儿颯弌璽譽い箸僚于颪

それは1999年初夏6月のことでした。

 

それまで私はヨーロッパの雑貨で、“アンティークに見えるような商品”を探してパリやミラノのトレードフェアーに

出かけていました。中でもミラノの近郊、ブレシアという古い町で製造されるピューターには惚れこんでしまい4社の

小さな工場から商品を買い込んで東京ギフトショーに出店をしました。

 

ただ雑貨を販売するためには一つの商品では世界が作れない。もっと広い幅の商品を同じコンセプトで展開しなければ

輸入雑貨商としての将来はないことに気づいたのです。

 

当時から気になっていた商品が英国製の Blue & White というシンプルな陶器でした。陶器については全く知識のない

私ですが、思い切ってBlue & White の陶器メーカーを訪問してみようと思い、ロンドンから列車で陶器の町 ストークオン

トレントに初めて訪問したのでした。

 

この古い陶器の町に一体どんな陶器メーカーがあるのかさえ分からないため、駅前のホテルに荷物を下してタクシーに乗りました。

あまり上品でない英語を話すドライバーはそれでも親切で、私の希望を言うと“それならこの町の”陶器製造社組合“に行けばよい

とアドバイスしてくれました。(タクシーの中で思わず、“これは的を得ている”とほくそ笑んだのを今でも覚えています。)

 

ストークオントレントの陶器メーカーはすべてが陶器製造社組合“のメンバーであり、受付に出てきた太ったおばさんは町で

Blue & White の陶器を製造するすべてのメーカーをリストにしてくれたのです。

ただその中にはウェッジウッドやスポードなどすでに日本法人がある会社や輸入業者が決まっている有名なメーカーもあり

実際には私が次の日から訪問できたのは7社でした。

 

 

Rosemary and William

 

私がバーレイ社を訪問したのは最後の日、7社目です。それは組合でバーレイ社は倒産をして銀行管理になっているので、誰も

いないかもしれないと聞いていたからです。ダメ元で訪問するとやはり工場は止まっており、数人がオフィスにいるだけでした。

そこにいたのは会社のスタッフではなく、イギリス南部のウインチェスターという小さな町で雑貨店を営むローズマリーとウイリアム夫妻です。二人はその店で長年バーレイを販売しており、この伝統工芸を何とか残していきたいという強い思いを持っていました。

バーレイ社は会社更生と会社整理の間にあり、会社を更生させる資産家の登場を待っていました。ただその猶予期間は私の訪問後2週間でした。

 

当時も今も英国の陶器産業は衰退産業で、多くの伝統的な陶器メーカーが倒産してなくなっています。そのため町には失業者があふれ犯罪の多い町になっていました。そういう中で150年前の古い工場に資金を出す人はいませんでした。

 

バーレイ社でその商品を見た私は一目でバーレイ陶器が好きになり、これを私が日本で売りたいとその場で申し出ました。

もちろんバーレイが清算されずに製造が継続すればの話です。

 

女王陛下やチャールス皇太子に援助の手紙を出したローズマリーとウイリアムですが、この英国伝統の陶器工場を守るという返事がもらえず、銀行の会社清算決定の数時間前に、二人は自分たちのお店と自宅を売却した資金を銀行に提示したのでした。

彼らが提示した金額は決して大きなものではありませんが、150年前の工場や銅版などは銀行にとって何の価値もないため、

その提案を受け入れたものです。その時点で二人はバーレイ社のオーナーになりました。

 

日本でそのニュースを聞いた私はすぐに初回の注文を前金で出しました。資金繰りが大変だったバーレイ社は私の注文で

製造を再開して、今に至っています。20年まえのお話です。

ローズマリーは201911月に病気で亡くなりましたが、彼女とウイリアムのバーレイに対する情熱がなければバーレイ陶器は

生き残っていませんでした。

社長のはなし

社長の話А,風呂に入らないイギリス人


 

私は17歳の時からパンツをはいて寝たことがない。


それは3軒目のホームステイ先で日本を離れて8か月が経っていたころだった。その家は大きな川を見下ろす丘の上に


建ったコンクリートの要塞のような家だった。窓からは大砲は出ていなかった。



 

西洋人は夜お風呂に入らない。その代わり朝起きてシャワーを浴びる。


そのホームステイの家は3つのバスタブ付きのバスルームがあったが家族全員、お風呂に入らずに朝シャワーを


浴びていた。これはそれまでのホームステイ先でも同じだったので私の慣れた生活パターンとなっていた。


 

その家族には3人の子供がいたが大きな家には子供部屋は3つしかなく、私は末っ子のアンドルーと部屋を共にすることに


なった。5歳のアンドルーはとてもわんぱくだったが、私より英語がうまかった。


 

ある夜にそろそろ寝ようとズボンを脱いでパジャマを着たのだが、突然アンドルーが私のお尻に後ろからハサミを


さすのである。私は驚いて “アンドルー、ヤメテクレ“ と止めるのだが止めようとしない。”ナンデナンダ?“と


聞くと彼は “パンツをはいている” と言うのである。


その夜に西洋人の男性はパンツをはかずに寝ていることを初めて知ることになった。(女性には聞いたことがないので


分からない)つまりその日に着た服を全部脱いでパジャマを着て寝るのである。これは書物には書いていないのである。


 

全ての家にはバスタブがあるが、使用せずにシャワーを使うのは一体どういうわけかを聞いたことがある。


一緒に仕事をする45歳のダニエルに “風呂に入ったことはあるか?” と聞いたところ“子供のころ2回ある。”と言っていた。


 

西洋人のお風呂というのは、子供が土曜日の朝のサッカーの試合で足を痛めた時に熱い風呂に入ってマッサージをするため。


そして旦那が出張で留守の夜、女房がバスタブの3つの角にろうそくを立て、最後のコーナーには“アロマキャンドル”を


置く。そのキャンドルにはこう書いてある。“ラベンダー&ベルガモット”(心の疲れを癒したいあなたへ)


ほとんどの場合は冷たく冷えたシャンペンを持ち込み優雅な“一人の夜”を楽しむ場所なのである。


 

シャワーを浴びるときに気が付いたのは西洋人は体を洗うのにタオルを使用しない。日本人のようにタオルでゴシゴシしない


のである。片手にせっけんを持って体中を泡だらけにしてそれを洗い落とすだけで終わるためあまり時間が掛からない。


これも書物には書いていない。


 

9世紀の英国では中産階級の家でもお風呂はなかった。また日本のように銭湯もなかった。お風呂の語源になったBath


にローマ人が作った温泉風呂は王侯貴族のための温泉療養所であり庶民の公衆浴場ではなかったのである。


 

寝室には大きなジャグとベイスン(たらい)があり、寝る前にジャグの水をたらいに入れて顔を洗い体を拭いていたのである。中産階級はほうろう製、上流階級は高級な陶器製であった。また各家庭には大きな楕円形のたらいがありそれにお湯を入れて体を洗っていた。


 

産業革命後の急激な人口増加とペストなどの疫病の流行で政府は公衆浴場建設の必要性を認め1845年には一般向けの公衆浴場を 開き、1915年には全国50万か所で庶民がお風呂に入れるようになった。


江戸ではまだ徳川幕府ができる前の1591年には公衆浴場ができている。江戸時代はそこら中銭湯があって庶民の憩いの場を

提供していた。どうも日本人は英国人よりはお風呂が好きだったようだ。


社長のはなし

社長のはなし 英国アンティークの源流-ハウスクリアランス

4月、庭の緑が濃くなり木々の間からもれる光がまぶしくなる朝に88歳のジョージは

静かに息を引き取りました。6か月前に医者からすい臓がんで “余命は6か月” と宣告されていましたが

その通りになったのです。医学は進歩したものです。

 

60年前に同じ高校の教師であった3歳年下のステラと結婚して教師をしながら2人の子供を

育ててきました。ステラはジョージの後を追うように3か月後に脳梗塞で神に召されたのです。

 

二人の住む家は曽祖父が160年前に建てたもので小さいがダブルブリックスの厚い壁でできた

しっかりした造りです。曽祖父、祖父が使ってきた家具や調度品は家の一部となっています。

若いころから古いものを大事に使ってきたジョージとステラの家にあるものはその全てがアンティークです。

 

定年後に好きなアンティークを町の公民館で販売を始めたのは自然な流れでした。毎月1回小さなテーブルに

のるだけのアンティーク小物を家から運び、仲間と楽しいひと時を過ごすのが老後の楽しみでした。

 

母親ステラの葬式を終えた息子のジョンと娘のメアリーはこの古い家の中に埋まった家具や調度品をどうするかを

話し合いました。離婚調停専門弁護士のジョンはロンドン市内のモダンなコンドミニアムに住み、倒産した会社の

更生を専門にする会計士のメアリーは郊外の大きな家に住んでいます。それぞれの家には山ほどの家具と調度品があります。

問題なのは二人ともアンティークに全く興味がないことでした。

 

冬は寒く夏は暑い160年前の古い家に興味の無い二人はその家を売却処分することにしました。が家として売却する

ためには中を空っぽにする必要があるのです。二人は家にあるものすべてを処分するために町にある“ハウスクリアランス

会社“を呼びました。なんの価値もないと思っていた家具や調度品は二人が驚くほどの金額となったのです。

 

二人は思い出となる両親の何枚かの写真以外はすべてをその業者に託しました。彼らには1860年のオーク製バーレイツイストテーブルも1880年のウォールナット製ガラスキャビネットは何の価値も持っていないのでした。

 

“ビジネス”を得た業者は家の中から文字通りすべてを箱に詰めて大きなバンで運び出しました。慣れたもので台所の

お鍋やフライパンは一つの箱、プラスチックのキッチンウエアはまとめて同じ箱という具合に仕分けをしながら

運び出します。

 

キャビネットの下に1950年に贈られたアーサープライス製シルバーカトラリーセットが箱に入ったまま発見されると

大きな成果となるのです。

どの町のハウスクリアランス業者にもそれぞれの分野でアンティークディーラーがつながっています。家具専門、

台所用品専門、ガーデングッズ専門などのディーラーは運び出されたアンティークをすぐに仕入れに行くのです。

 

値段が付かないものはチャリティーとして寄付され、ディーラーが買わないものは通常毎月開催される古物オークション

で販売されます。なんとジョージとステラの家から運び出されたキッチン用品が箱のままオークションで売却される

のです。このオークションは基本的に処分のために開催されるもので高く売るためではありません。

 

よってしばしば10ポンドでスタートしたオークションが最初から値段が付かず、だんだん値段が下がっていくことが

あります。私もひと箱10ポンドの雑貨が10ポンドから値段が下がり、最後は1ポンドであるディーラーが嫌々ながら

買ったのを見たことがあります。

 

英国でふんだんにアンティークが出回るのは、英国人が古い家に住み、古いものを大事に使い、またその英国人が

毎年亡くなるからなのです。